
第29話「揺れる心」
亮介の肩に頭を預けたまま、私はしばらく目を閉じていた。
鼓動の音が近くで聞こえて、それが妙に心地よくて、泣き疲れた体が少しずつ緩んでいくのを感じた。
「楓」
低い声が耳元に落ちる。
「眠れそうか?」
「うん……ちょっと」
小さく答えると、亮介は何も言わず、ただ背中を撫でてくれた。
その仕草は自然で、慣れているようにすら見えた。
——でも。
目を閉じると、浮かんでくるのは誠の姿だった。
高級ホテルのラウンジで笑っていた横顔。
誕生日にプレゼントしてくれた腕時計を手首に巻く仕草。
「楓はもっと、自分を大事にしろよ」
あのときの声まで鮮明に甦って、胸を締めつけた。
「……誠」
無意識に名前をつぶやいてしまった。
亮介の手が一瞬止まる。
でも、すぐにまた背中を撫でてくれた。
「……忘れられないよな」
「……ごめん」
思わず謝る。
「亮介がそばにいてくれるのに、私、まだ誠のこと……」
亮介は小さく笑った。
「謝ることなんてないさ。誰にでも忘れられない人っているだろ」
その言葉に胸が大きく揺れた。
——そんなふうに言われると、余計に好きになっちゃうじゃん。
心の中でそうつぶやいて、はっとした。
それは、誠によく言っていたセリフだった。
からかうように、甘えるように、何度も口にした言葉。
「……私、また同じことを繰り返してる……」
胸が張り裂けそうに痛んだ。
誠の笑顔も、冷たい背中も、すべてがまだ私の中に居座っている。
いくら亮介の優しさに包まれても、心の奥では誠を追いかけ続けてしまう。
——私は、どこへ向かうのだろう。
自分の心さえ分からないまま、夜は静かに更けていった。