
第28話「一人にしない」
玄関で泣き崩れたあと、私は亮介に導かれるように部屋の中へ入った。
ドアが閉まると、急に現実に引き戻される。
部屋には、誠と過ごした痕跡がまだ生々しく残っていた。
ソファの上に置きっぱなしの映画のパンフレット。
キッチンの棚に並ぶペアのマグカップ。
窓辺に掛けられたカーテンは、誠と一緒に選んだものだ。
亮介が部屋を見回しながら、小さく口を開いた。
「……ここ、誠さんと一緒に住んでたの?」
「ううん、一緒に住んでたわけじゃない。でも……よく来てたから」
声が震えて、すぐに下を向いた。
亮介はそれ以上聞かず、明るい調子で言った。
「よし、とりあえず夕飯作ろう。冷蔵庫、何かある?」
「……食欲、ないの」
正直に打ち明けると、亮介は少し困ったように笑った。
「そっか。でも何か温かいもの作るだけ作るよ。食べたくなったら一口でもいい」
そう言って勝手にキッチンに立ち、冷蔵庫を開けて野菜や卵を取り出していく。
その姿を見ながら、胸がざわついた。
誠がここでコーヒーを淹れてくれた日のことを思い出してしまう。
「……ごめん、やっぱり無理」
ソファに座り込んだまま、私は小さな声でつぶやいた。
亮介は手を止め、ゆっくりと振り返った。
「無理しなくていいよ。俺は食べるの好きだから、楓が見てるだけでもいい」
その言葉に胸が熱くなった。
誠といたときは、いつも「我慢しろ」とか「気の持ちようだ」と突き放されていた。
でも、亮介は違う。何も求めず、ただ寄り添おうとしてくれる。
彼は手を拭き、私の隣に腰を下ろした。
「楓、聞いて。俺、何もできないかもしれない。でも、一つだけ約束する」
真剣な眼差しでこちらを見つめる。
「お前を一人にはしない」
胸の奥が張り裂けそうになった。
涙がこみ上げてきて、思わず亮介の肩に頭を預ける。
「……ありがとう」
かすれる声でそう言った瞬間、肩越しに彼の体温がじんわりと伝わってきた。
部屋にはまだ誠の影が残っている。
でも、その中で亮介の存在が確かに息づいていて、心の隙間を少しずつ埋めていくようだった。