
第30話「残された温もり」
カーテンの隙間から差し込む朝の光で目が覚めた。
ぼんやりと天井を見上げ、昨夜のことを少しずつ思い出す。
泣き疲れて、亮介の肩に寄りかかったまま眠ってしまったはずだった。
でも、目を覚ました私は、ちゃんと毛布にくるまれてベッドに横たわっていた。
枕元には整えられた掛け布団。
——きっと亮介が運んでくれたのだろう。
「……亮介?」
呼びかけても返事はなかった。
部屋の中は静かで、彼の気配はすでになかった。
けれどテーブルの上に一枚の紙が置かれていた。
白いメモ用紙に、走り書きの文字。
楓へ
少し眠れたか?
冷蔵庫に野菜があったから、簡単にスープを作って鍋に入れてある。温めて食べてな。
鍵はちゃんとかけて、ドアポストに入れておいた。
無理はするなよ。
何かあったら、遠慮せずすぐに頼れ。
読み進めるうちに、胸が熱くなった。
字は少し乱れているのに、不思議とまっすぐで、彼の声がそのまま聞こえてくるようだった。
キッチンへ向かうと、鍋の中からやさしい匂いが広がってきた。
具だくさんの野菜スープが、まだほんのり温もりを残していた。
お玉ですくいながら、思わず涙がにじむ。
——誠は、こんなふうに何かを残してくれたことはあっただろうか。
出張前に「忙しい」と言って連絡を絶たれたこと。
約束をすっぽかされた夜。
その一つひとつが胸に浮かび、息苦しくなる。
「……誠……」
名前をつぶやくと、涙が頬を伝った。
でも次の瞬間、目の前の鍋から立ちのぼる湯気に視線を戻す。
そこにあるのは、誠ではなく亮介の残した温もりだった。
誠の影を追い続ける心と、今ここで自分を支えてくれる存在。
その間で揺れる気持ちに、私はただ立ち尽くすしかなかった。
鍋の蓋を閉め、テーブルのメモにもう一度手を伸ばす。
紙の端をそっとなぞりながら、小さくつぶやいた。
「……ありがとう」
——届かない誠への未練と、確かに届いている亮介の優しさ。
二つの想いが胸の中で絡まり合い、私はどちらにも答えを出せないまま、また一日が始まろうとしていた。