連続小説

小説「恋愛依存」第15話 -抜け出せない女の奮闘記-


第15話 触れ合う温度、ほどける

気がつけば、終電をとっくに過ぎている時間だった。大人の余裕たっぷりの包み込んでくれそうな誠の横で飲むハイボールは、今まで飲んだどのお酒よりも、味わい深かった。

もう少し一緒にいたい…もっと知りたい…

そう思わせる男だった。

明日もあるからと、タクシーを呼んでくれた誠が、スマートフォンをゆっくりとカウンターに置いた。

グラスを持っていた私の指先にほんの一瞬触れた。

「今日は、遅くまでありがとう」

その言葉が胸に残ったまま、私は帰路につこうと準備をしていた。

その時、カウンターの奥でグラスを磨いていた亮介が、ニヤッと笑った。

「ねぇ、さつきちゃん。誠さんと連絡先、交換しなよ」

「え?でも……」

私は戸惑った。

「だって、話してると波長合ってるし。ほら、誠さんも、嫌じゃないでしょ?」

「……まぁ、いいんじゃないか」

誠は少し照れくさそうに微笑んだ。

私はスマホを差し出し、震える指で連絡先を交換した。

その小さな操作が、これからの私の人生を変えることになるなんて、その時は想像もしなかった。

誠と会う時間が少しずつ増えていった。

最初は週末だけだったのが、気づけば平日の仕事終わりにも顔を合わせるようになった。

彼はいつも自然体で、何も強要しない。ただ隣に座って、私のグラスの氷が小さくなるまで待ってくれる。

それだけなのに、不思議と安心した。

誰かに合わせようと力を入れすぎて空回りしてきた私にとって、沈黙を共有できる時間は初めてだった。

毎回、タクシーに乗る前、指先がほんの一瞬触れる。

「今日は、よく笑ったね」

その低い声が胸の奥に残り、触れた指先が燃えるように熱かった。

一秒にも満たない触れ方なのに、まるで世界に二人しかいないような錯覚をした。

——ただ、そんな小さな触れ合いに心が揺れる自分を、また「依存」だと責めてしまう。

恋愛に溺れてはいけないと、何度誓っても。

普段、人とあまり関らず、自分のことを話さない私が、不思議と誠には何でも話せた。

人を警戒して、さつきと偽名を使っていたことも笑い飛ばしてくれた。

本当の名前は、楓だと伝えると秋が好きだから、素敵な名前だねと言ってくれた。

神戸の実家には、両親と3つ年の離れた妹がいるけど、疎遠になっていることも、優しく黙って聞いてくれた。

疎遠になってしまった理由とかは聞いてこなかった。私が話したいというタイミングをいつも待ってくれた。

私は、自分のことをここまで話したのは、誠が初めての存在だった。ただ、誠が自分の話をすることは、なかった。

気を遣って、私が聞いても、彼はいつも居心地が悪そうに違う話題に変えてしまう。

私はいつからか、嫌われたくないというお思いで、聞かないようにしていた。

12月24日のクリスマスイヴ、誠はレストランを予約してくれた。レストランといっても、私が今まで足を踏み入れたことのない高級ホテルのレストランだった。

待ち合わせ場所の高級ホテルのラウンジは、別世界のようだった。

空気まで磨かれているみたいで、私の存在だけが場違いに思える。 

こんなところに来るならもっといい服で来ればよかったと後悔していた。

誠はいつものように私を見つけると優しい笑顔でエスコートしてくれた。

見たことのない装飾と、見たことのないワインのリスト。

私はナイフとフォークをいじりながら、落ち着かない視線をあちこちに彷徨わせた。

「緊張してる?」

隣から、やわらかな声。

「え、そんなに分かりますか?」

「うん。肩が固いよ。もっと楽にしていいんだ」

その優しさに、少しだけ胸の奥がほどけた。

料理が運ばれ、しばらくはワインや味の話で会話が弾んだ。

けれど、誠がグラスを置いて、ゆっくりと私を見つめた時、空気が変わった。

「楓に、ちゃんと話しておきたいことがあるんだ」

「……はい」

「実はね、僕には娘がいるんだ。小学三年生になる女の子で……とても大事な子だよ」

「……娘さんが、いらっしゃるんですね」

私は驚きで声が震えた。

「元妻と一緒に暮らしてるんだ。元妻は体が少し弱くてね、病院に通うことも多い。だから、毎月養育費と治療費を送ってる」

誠は、言葉を選ぶようにゆっくり続けた。

「本当は、もっと父親らしくそばにいてやりたい。でも、今はそれが叶わなくて……正直、胸を張れるような父親じゃないんだ」

彼の瞳には、寂しさと後悔が滲んでいた。

「……色々とあってね…僕は“愛”ってものを永遠に信じるのが、少し怖いんだ。信じたい気持ちはあるんだけど、過去に一度失敗してるから……。期待させて裏切ってしまうのが、何より辛いから」

その声は優しく、まるで自分自身に言い聞かせているようでもあった。

私は言葉が出なかった。

でも、その言葉は痛いほど分かった。

——私も同じだから。

過去の恋愛で何度も裏切られて、信じたいのに信じられなくなって、愛される資格なんてないって自分を責めてきた。

「愛を信じるのが怖い」という気持ちは、私もずっと抱えてきた痛みだった。

だからこそ、彼の気持ちが分かる。

彼の苦しさが、胸に突き刺さるように理解できてしまう。

そして同時に、不思議なくらい安心した。

——この人なら、私の弱さも知ってくれるかもしれない。

沈黙を埋めるように、ピアノの音が遠くから流れてくる。

誠は、私の表情を見て苦笑した。

「驚かせちゃったかな。でも……楓には隠したくなかったんだ。もしこの先、少しでも一緒に過ごすなら、ちゃんと知っておいてほしかった」

胸がぎゅっとなった。

——過去を背負いながらも、私に誠実でいようとしてくれている。

——その不器用な優しさが、たまらなく愛しく感じてしまう。

食事を終えると誠は、いつものようにタクシーを呼ばなかった。

「もう少し、飲もうか」

何処となく、誠は淋しそうだった。バーで出会った日から、何度も会っているけれど、見とことのない顔だった。

「あの、私の家で飲みませんか」

勇気を振り絞って言った瞬間、自分の声がかすかに震えているのが分かった。