
第66話「揺れる心」
涙を拭えずに俯いている私を、誠はしばらく黙って見つめていた。
やがて、低く落ち着いた声がそっと届く。
「……楓、自分をそんなに責める必要なんてない」
「でも……」
嗚咽まじりに返そうとした言葉を、誠は首を横に振って遮った。
「人は間違う。衝動で動くこともある。俺だってそうだ。だから……書いてしまったことを後悔するより、これからどうするかを考えた方がいい」
その声は驚くほど優しくて、胸の奥にまで沁み込んでいくようだった。
でも次に続いた言葉は、かすかな痛みを伴っていた。
「……ただな、俺自身も……どうしたらいいのか分からないんだ」
私は顔を上げた。
誠の表情には、いつもの冷静さがなかった。
迷いと疲れがにじみ、唇を強く結んでは開き、視線を宙にさまよわせていた。
「父親として何をすべきなのか、楓にどう向き合うべきなのか……答えをまだ持っていない」
彼は苦しそうに息を吐いた。
「情けないよな」
私は首を振った。
「……そんなことない」
言葉が震える。
「分からないのは、私だって同じだから」
二人の間に、静かな沈黙が流れた。
窓の外で救急車のサイレンが遠ざかっていく。
その音に重なるように、互いの心臓の鼓動がやけに大きく感じられた。
——私も、誠も、同じように揺れている。
その事実だけが、今の私を少しだけ支えてくれていた。