
第62話「母の声」
病院のベッドに横たわりながら、私はスマホを握りしめていた。
頼れる人なんて、誰もいない。
けれど、どうしようもなく孤独で、気づけば発信ボタンを押していた。
コール音が数回鳴り、懐かしい声が耳に届いた。
「……もしもし? 楓? あんたかいな? どないしたん、急に」
母の声。
何年も距離を置いてきたけれど、そのイントネーションは変わらない。
胸が締め付けられ、思わず涙が込み上げた。
「……うん、私。ちょっと……体調崩してて」
「なに言うてんの! しんどいんやったら、すぐ病院行かなあかんやろ。あんた昔から無理する癖あるんやから」
母は慌てた様子でまくし立てた。
「……行ったよ。今、病院」
「ほんまかいな……びっくりするやん。めったに電話かけてこん子が、こんな時間に」
心配そうな声が、スマホ越しにあたたかく広がった。
私は安心しそうになる自分を必死で抑え、「大丈夫だから」と何度も繰り返した。
そして「じゃあ切るね」と言おうとした、そのときだった。
「……なぁ楓」
母の声が少しだけ沈んだ。
「こんな時に悪いんやけど……ちょっとだけ、お金、貸してくれへんかな。どうしても足らんのよ」
一瞬、心臓が止まったように感じた。
あぁ、やっぱり。
どれだけ時間が経っても、母は母だ。
「……ごめん。ほんまにちょっとだけでええんや。返すから」
母は申し訳なさそうに繰り返した。
スマホを握る指が震えた。
今の私にそんな余裕なんてない。
でも「無理」とは言えなかった。
声が詰まり、ただ「……うん」と答えるしかなかった。
ベッドの上で、涙が静かに頬を伝い落ちた。