
第49話「送り出す背中」
「ごちそうさま。……美味しかった」
皿に残ったフルーツを食べ終え、私はそっとフォークを置いた。
体調はまだ完全じゃないけれど、昨日よりはずっと楽になっている。
少しの沈黙のあと、私は口を開いた。
「……私、今日は仕事に行かなきゃ」
亮介の手が一瞬止まった。
拭いていたグラスを下ろし、眉を寄せる。
「無理すんなよ。顔色、まだあんまり良くない」
「うん……でも、いつまでも休んでばかりいられないから」
自分に言い聞かせるように笑った。
派遣社員としての居場所がどれほど不安定かは、私が一番分かっている。
欠勤が続けば、すぐに「必要のない人間」にされてしまう。
それが怖かった。
「……本当に大丈夫か?」
亮介は椅子に腰をかけ、真っ直ぐに私を見つめた。
その目に心配がにじんでいる。
私は小さくうなずいた。
「大丈夫。昨日よりは楽だし……ちゃんと行ってくる」
亮介はため息をつき、やがて苦笑した。
「……楓は強がりだな。ま、そういうとこ嫌いじゃないけど」
「なによ、それ」
思わず吹き出すと、少しだけ空気が柔らかくなった。
「駅まで送るよ」
亮介が立ち上がり、ジャケットを手に取った。
私は首を振った。
「大丈夫。ひとりで行けるから」
けれどその言葉を聞いても、彼は最後までついてきた。
バーの扉の前で立ち止まり、私を見つめながら言う。
「無理するなよ。ほんとに何かあったら、すぐ連絡してこい」
私は頷くことしかできなかった。
朝の光の中で扉を開けると、冷たい風が頬を撫でた。
亮介の視線を背中に感じながら、私は一歩、外の世界へ踏み出した。
——その背中を見送る彼の瞳に、言えない決意が潜んでいることなど知らぬままに。