
第18話「三年目の春先」
三年目の春。
桜が散り始めた頃だった。
朝から体が重くて、会社に着いた時にはもう立っているのもやっとだった。
「草野さん、大丈夫?」
同僚の声が耳に遠く響いた。
会議中、視界が急に白く滲んで、そのまま意識が暗闇に落ちていった。
——気がついたら、会社の医務室のベッドの上だった。
「貧血みたいね。でも、ちゃんと病院に行った方がいいわよ」
心配そうな産業医の言葉に、私は渋々うなずいた。
病院の待合室は、妙に静かだった。
名前を呼ばれ、診察室に入ると、医師は淡々と検査結果を告げた。
「妊娠していますね」
時が止まった。
「……え?」
声が震えた。
医師はカルテを確認しながら説明を続けたけれど、言葉が頭に入ってこなかった。
妊娠。
私の中に、小さな命が宿っている。
胸が熱くなると同時に、喉の奥がぎゅっと詰まった。
喜び?不安?
どちらかなんて分からない。
「……私が母親に?」
口の中で呟いた瞬間、心臓が早鐘のように打った。
会社を出て、冷たい風を浴びたとき、頭の中には誠の顔しか浮かばなかった。
——どうしよう。
言わなきゃ。
でも、言ったら……?
「誠、私……妊娠したの」
想像の中で言葉を口にしてみる。
その瞬間、彼の顔が曇るのが浮かんでしまった。
“娘がいる”“元妻にお金を送ってる”“結婚を信じてない”
彼がいつも繰り返す言葉が、脳裏で繰り返される。
伝えなきゃいけない。
でも、伝えたら壊れるかもしれない。
期待と恐怖が胸の奥でせめぎ合い、呼吸が浅くなった。
スマホを握りしめ、何度も誠の名前を表示しては消した。
——結局その夜は、送信ボタンを押せなかった。
布団に横たわりながら、涙が止まらなかった。
私はどうすればいいんだろう。
そして、誠は……どう答えてくれるんだろう。