
第23話「まっすぐな眼」
二階の部屋に戻ると、まだスパイスの香りがかすかに漂っていた。
カレーはテーブルの上で湯気を失い、食べてもらえなかったことを寂しそうにしていた。
私はベッドの端に座り、タオルで濡れた髪を拭きながら必死に平静を装った。
でも、吐き気で震える手はまだ止まらなかった。
沈黙を破ったのは、亮介だった。
「……楓」
名前を呼ぶ声は、普段より低くて真剣だった。
私は顔を上げられず、視線を床に落としたまま。
「もしかして……妊娠してるんだろ?」
胸が一気に締めつけられた。
「……っ」
息を飲む音が自分でもはっきり聞こえた。
「違うって言いたい顔じゃないな」
亮介はゆっくりと言葉を継ぐ。
「さっきの吐き方……普通の体調不良じゃない。俺、前に姉貴がつわりで苦しんでたの見たことあるから、分かるんだ」
私は必死に首を振った。
「ち、違うよ……ただ、ちょっと疲れてただけで……」
「無理すんな」
亮介は一歩、私に近づいた。
その距離の近さに、心臓が乱れて呼吸が浅くなる。
「言いたくないなら、言わなくてもいい。でも……俺はお前の味方だから。苦しいのに一人で抱え込むの、見てられないんだ」
その優しい言葉に、堰が切れそうになった。
——言いたい。
でも言ったら、全部が崩れてしまう。
誠との関係も、未来も。
「亮介……」
声を絞り出した瞬間、喉の奥が熱くなり、涙が溢れた。
私は顔を両手で覆いながら、ただ泣くしかできなかった。
亮介はそれ以上追及せず、黙ってそばに座り、背中に手を添えてくれた。
その温もりに、秘密を守りたい気持ちと、打ち明けたい気持ちが激しくぶつかり合っていた。