
第80話「迫られる選択」
午前の診察が終わり、医者の言葉が耳に残っていた。
「体調も安定してきたので、明日退院できますよ。ただ……お腹の子を産まないという選択をする場合、あと一ヶ月以内に決める必要があります」
淡々とした説明だったのに、私には胸を突き刺す刃のように感じられた。
——あと一ヶ月。
命を産むか、諦めるか。
それを自分一人で選ばなければならない現実に、息が苦しくなった。
病室に戻ると、スマホが小さく震えた。
画面には亮介からの新しいメッセージ。
――「今日は顔を見に行ってもいいか?」
指先が止まる。
昨日「大丈夫」とだけ返してしまったのに、それを見抜かれている。
きっと彼は、安心するまで来る気なのだ。
——でも、会えば弱さを見せてしまう。
——支えてほしいって、言ってしまう。
誠のことも、まだ心の奥で手放せないのに。
亮介の優しさに甘える自分が怖かった。
枕元の母子手帳に視線を落とす。
産むのか、産まないのか。
この一冊が、私の人生を大きく変えてしまう。
迷いに迷った末、私は画面に文字を打ち込んだ。
――「今日はゆっくり休みたいから、来ないでほしい。ありがとう」
送信ボタンを押した瞬間、胸がチクリと痛んだ。
まるで自分の本当の気持ちを裏切ったみたいで。
「……どうすればいいの」
思わず声に出してしまい、胸が張り裂けそうになった。
返信を送ったスマホを抱きしめる。
画面がじんわり温かく感じて、それが余計に涙を誘った。
——誰かに決めてほしい。
——でも、この答えを出せるのは私しかいない。
揺れる心の中で、時間だけが過ぎていった。