
第38話「すれ違う言葉」
バーの前の暗がりに、私と誠は立ち尽くしていた。
二週間ぶりに見る彼の瞳は、強がりの奥でかすかに揺れ、涙を必死にこらえているようだった。
「……楓」
彼が低く名を呼んだ。
その声に胸が震える。
何かを言おうとしている。
でも言葉は続かない。
喉が詰まったように、彼は口を開きかけては閉じ、視線を彷徨わせた。
額に浮かんだ小さな皺が、その葛藤の深さを物語っていた。
私は待った。
彼が言葉をくれるのを、必死に待った。
けれど沈黙だけが夜の空気に広がっていく。
やがて誠は、深く息を吐き出した。
その吐息に混じるかすかな震えが、彼の苦しみを私に突きつけてくる。
「……」
何も言わず、彼は私の横をゆっくりと通り過ぎていった。
肩が触れそうなほど近くを歩きながらも、手を伸ばすことはなかった。
——今だ。
心の奥で叫ぶ声がした。
「私……妊娠してる」
そう告げなければならないと分かっていた。
誠にだけは伝えなければいけない。
唇が震え、声が喉の奥まで込み上げた。
けれど、どうしても出せなかった。
背中に向けて声をかけようとしても、喉が固く閉じ、言葉は空気に変わって消えてしまう。
誠の背中はゆっくりと遠ざかり、やがて街灯の光の中に溶けていった。
私はその場に立ち尽くし、拳を握りしめた。
喉の奥に残った言葉は、苦しみの棘となって胸を刺し続けていた。